コロナで気持ちが落ち込む皆さんに明るいニュースを!

 東京新聞がいい話を伝えた。コロナ禍で、ともすれば、気持ちが落ち込む皆さんに笑顔が戻るニュースを提供したい。これだ。

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 トルコ東部ワン周辺で2011年、M7.2の大地震が起き、640人超が死亡し、4000人が負傷した。倒壊した家屋は6000棟に上った。この地震で1人の日本人男性が犠牲となった。NPO法人「難民を助ける会(AAR)」元メンバー宮崎淳さん(41)である。

 日本から支援活動に駆けつけ、宿泊先のホテルの倒壊に巻き込まれた。地震からまもなく10年となるが、現地では今も宮崎さんを慕う声が多く聞かれる。

 昨年8月、宮崎さんの名を冠した公園が開園した。木立の中をしばらく歩くと小さな広場に、ほほ笑む宮崎さんの胸像が建っている。

 公園整備員のハティップ・オルハンさん(25)は「ミヤザキは私たちのために日本から来てくれた。私たちは決して忘れない」と話した。「彼は私たちのヒーローだ」同僚のチャガラー・イルハンさん(34)。

 本震直後、AARは支援チームの派遣を決め、宮崎さんは「ぜひ行きたい」と申し出た。仲間2人と日本を出発し、救援活動に携わった。現地では控えめで物腰柔らかな人柄は現地の人に好かれ、宮崎さんに「ずっとトルコに残ってほしい」と言う人もいた。

 地元病院のカディル・バートン医師(43)は震災当時、支援に奔走する宮崎さんの姿を覚えている。負傷者で病院がごった返し、休む場所もない中、宮崎さんがバートンさんの娘のために休憩場所を確保してくれたという。「被災者だけでなく娘も助けてくれた。亡くなったときは大変ショックだった。私たちにとってミヤザキは大切な人だった」と振り返る。

 トルコ東部地震の7カ月前、日本で東日本大震災が起きた。トルコでも大きく報じられた。その分、日本の支援は特別な感謝をもって迎えられ、宮崎さんの死も社会に大きな衝撃を与えた。

 宮崎さんの功績をたたえ、道路や公園、学校には宮崎さんの名前が付けられ、今でも授業で宮崎さんを取り上げることもあるという。

 感謝の気持ちは今も途切れず、AARには「ご遺族に手紙を渡してください」「日トルコ友好の写真集を作りました」などとトルコから連絡が来るという。子どもたちが手書きした宮崎さんへのメッセージが送られてきたこともあった。

 宮崎さんの同僚だった穂積武寛さん(54)は電話取材に「彼を1人の大切な人として覚えてくれていて大変ありがたい。宮崎さんがトルコでしっかり支援活動してくれたことが、今につながっている」と話した。  (以上東京新聞)

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