「下流民など犠牲にしてよい」と福沢諭吉!

2017年10月30日のブログ「半歩前へ」の再録である。

万札の顔、福沢諭吉! 隠されたもう一つの顔!
https://kot8asb9070.at.webry.info/202006/article_35.html
の続き。

*********************
関係者の間で話題沸騰の衝撃の書、「福沢諭吉」 (岩波現代文庫 ひろた まさき著)をアマゾンの書評から紹介する。

 また、明治七年に長沼事件と関わったことで、民衆が、自分の期待する「一身独立の気風」を身につけるにはほど遠いことを実感した。日本が文明化するまで、「下流の民間」が啓蒙されるのは、待ってられない。

 同時に、明治八年に四十歳を迎え、老年を意識し、余生の短い事を悟っていた福沢にとって、教育のような迂遠な方法に頼っている時間も残されていなかった。むしろ、内安外競の「方便」として、「下流の民間」など犠牲にしてもよい。

 つまり、明治八年に書き下ろされ、啓蒙思想の頂点と誉れの高い『文明論之概略』は、福沢文明論の凋落でしかなかったのである。明治十四年の『時事小言』では、それが露骨に宣言されているという。

 啓蒙福沢から権道福沢へ。これが二回目の転向。そもそも、「私のために門閥制度は親の敵で御座る」と啖呵を切っておきながら 、中津藩の江戸藩邸に出府を命じられれば、いそいそ出掛けていった頃から、風見鶏だったのである。

 そして最後は、資本主義者/帝国主義者福沢に転向する。明治二十三年恐慌を経験した福沢は、明治二十四年の「貧富論」で、大資本こそ国家独立の要であると宣言した。すでに、数多くの門下生が三菱商社や三井銀行に入社し、財閥の中核を占めていた。

 そして、その大資本確立のために、朝鮮政略を上奏する。朝鮮を犠牲にして日本に資本主義を導入しようという発想は、国家独立のためには「下流の民間」など犠牲にしてよいという発想と全く同じである。

 福沢は、「政治、経済、社会、学問の分野で節操をまげ現実主義の世俗にまみれることを強いられ続けた」。ブレまくったのである。

 『学問のすゝめ<初編>』の頃、民衆の啓蒙による底上げを説いたまでは良かったが、『文明論之概略』を経て、独立の対象は、民衆ではなく、大資本家へと転向、凋落していった。

 要するに、弱者切り捨ての歴史だったのである。最後は、天賦人権論や啓蒙主義は、一欠片も残っていなかった。その福沢が、最高額紙幣で乙に澄ましていたのは、話が出来すぎている。

********************
編注
ひろたまさき(広田 昌希)
日本の思想史学者、大阪大学名誉教授。
京都大学大学院博士課程修了。 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント