沖縄の願いは「権力に利用される立場」からの脱却!

 5月15日が何の日か知っている者が何人いるだろうか? あなたも知らないのではないか?

 沖縄が本土に復帰した日。やっと日本に戻った日である。だが、沖縄は今も米軍基地に悩まされている。

 日米安保条約の取り決めで、日本の防衛は米国に任す代わりに、「米軍基地」の設置が義務付けられた。

 ところが「自分の住む場所には反対」と拒否。そのしわ寄せを食らったのが沖縄。自分が嫌なものは他人も嫌だ。

 それを本土は沖縄に押し付けた。いまだに在日米軍基地の72%が沖縄にある。

 日本の防衛の責任を沖縄に押し付けて知らん顔をする本土の人間。おかしくないか? 

 あなたが沖縄に住んでいたら、どんな気持ちか、分かるはず。

 隣の汚いゴミを、自分の玄関先に投げ捨てられて黙っておれるか?

 相手の立場になって考えてみよう。そうすれば痛みが分かる。

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 沖縄を代表する新聞「琉球新報」が「日本復帰49年 自らの未来は自ら決める」と社説で次のように訴えた。

 沖縄の施政権が日本に返還(日本復帰)されて、49年を迎えた。

 日本復帰に際し、沖縄が求めたのは「国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎて」きた地位からの脱却だった。

 「5・15」は、自らの未来は自ら決めることを宣言したことを再確認する日としたい。

 軍事植民地のような米国統治を終わらせた最大の要因は、圧倒的な力を持つ米国に立ち向かった沖縄側の民意だった。

 自治権拡大の象徴として琉球政府行政主席の直接選挙を認めさせた。

 1968年11月の初の主席公選で当選した屋良朝苗氏は、就任後初の佐藤栄作首相との会談前にこう語っている。

 「私が当選したことによって具体的に示されている沖縄県民の民意を率直に確認してもらって、国の政治に、外交に十分反映していただきたい」

 屋良主席は「民意」という言葉を使っている。しかし佐藤首相は、その後の施政権返還交渉で、屋良氏の公約「即時無条件全面返還」を選択した沖縄側の民意をくみとらなかった。

 佐藤首相は「核抜き」返還を実現する代わりに、有事の際に沖縄への核再持ち込みを認める密約を結んだ。

 米側は支払うべきコストを日本に肩代わりさせて沖縄に投入した資産を回収、「思いやり予算」の原型となる財政密約に合意した。

 そして米軍は基地の自由使用権を手放さなかった。
 1971年の「沖縄国会」は「非核兵器並びに沖縄米軍基地縮小に関する決議」を全会一致で可決している。

 しかし、基地の過重負担は変わらず国会の総意は半世紀たっても実現していない。

 施政権返還後も沖縄が抱える最大の課題は基地問題だ。

 日本政府が沖縄に米軍基地の負担を押し付ける結果、米兵が引き起こす事件や事故、騒音被害、環境汚染、人権侵害が続く。沖縄に矛盾をしわ寄せする仕組みは「構造的差別」に他ならない。

 今年4月の日米首脳会談で「台湾の平和と安定」に言及したことは看過できない。台湾有事の際、沖縄が直ちに最前線となる可能性をはらんでいるからだ。

 宮古、石垣、与那国への自衛隊配備と合わせ、沖縄が再び戦場となる可能性を県民は危惧している。沖縄の平和と安全を度外視した日米同盟は認められない。

 「復帰の日」にいま一度、沖縄の姿がどうあるべきかを考えたい。

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