あの時、私にかけてきた電話が今でも忘れられない!

 東日本大震災の後、フク1(東電福島第1原発)で、世界を仰天させたあの水素爆発が起きた。

 途中の道路は崩落などで随所で寸断。その度に遠回りをして福島を目指した。

 大混乱の中、タンクローリーを運転し、3日がかりで福島に駆け付けた40代の落語仲間があの時、声を震わせて涙ながらに私にかけてきた電話が忘れられない。

 「新聞やテレビでやっている現場の様子はウソばかり。きれいごとしか映さない。大津波に襲われた現場はこの世の生き地獄だ。壊れた家の下敷きになって命を落とした人がそのままの状態。

 道路わきに寄せたがれきと一緒に根元から千切れた片手が落ちていた。その先に脳みそがはみ出した死体が転がっていた」と涙声で私に訴えた。

 ショックなどと言う言葉では表せないほど、彼は動揺していた。東日本大震災が起きた2011年3月は、粉雪が舞う「寒い冬」だった。

 ガソリンを届けて東京に戻った落語仲間は「すべてを失った被災者の皆さんは、心身ともに震えている。先の見通しも立たない中で精神的に相当参っている。こんな時だから、笑いが必要だ。すぐ、被災者に笑いを届けよう」と私に促した。

 彼の、はやる心を抑えて私が言った。「辛抱だ。今は私たちの出番ではない。凍えるような体育館の板の間で寝泊まりする皆さんに今一番、必要なのは水であり、温かい味噌汁であり、赤ちゃん用のミルクや替えのおむつ、風邪薬だ。

 混乱の現場に行けば、足手まといになるだけで、何の役にも立たない。それよりも私たちに出来ることがある。被災地で落語会を開くのはそのあとだ。必ず出番があるから待ってくれ」とたしなめた。

 その後、私は東京や千葉で落語会を開いた。終わった後で客席に向かってこう言った。「ご承知の通り、東北が大変な目に遭っています。ひとつ間違っていたら、ここにいる私たちが全員、被災者になっていたかも分かりません。

 私たちの”思い”を被災者の皆さんに届けたいと思います。いくらでも結構ですのでご協力をお願いします」と、100円ショップで買った募金箱を置いて出演者全員、控室に戻った。私たちがいると、気を使って「多めに出さないと」と思う人がいると考えたからだ。

 衣装を着替えて再び会場に戻り、観客の目の前で募金額を計算した。驚いたことに5円玉や10円玉、100円玉は一つもなかった。500円玉が1枚と、後は全部1000円札だった。

 細かい数字は覚えていないが2万円を超える額だった。大半が1000円札でカンパしてくれた。客席から「木戸銭代わりだ」と声が飛んだ。うれしくて涙がほほを伝った。

 同様の落語を4回行った。私の独断で全額、「あしなが育英会」の震災孤児基金に寄付した。東日本大震災で親を亡くした子供が1800人を超えた。何に使ったか分からない日赤などに寄付をするより余程ましと考えたからだ。

 後日、「あしなが育英会」から届いた「受領証明書」によると寄付の額は「8万2550円」だった。

 それから数年後の落語会で、私は「出演料を頂かない」と言ったのだが「お車代」として4万円を押し付けた。仕方がない。客に「4万円全額、震災孤児基金に寄付していいか」と尋ねると、大きな拍手が沸き上がったので、これも「あしなが育英会」に贈った。

 都合12万2550円。この程度の額は全体からすると目くそ、鼻くその額だが、これからも続けるつもりだ。

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