洋服ダンスに食器棚からアイロン、傘までみんな寄付!

2012年04月05日のブログ「半歩前へ」  「3・11」が変えた、の再録だ。

▼明るい声で「3階に」
 洋服ダンスに整理ダンス、本箱、本棚、扇風機・・・。わが家にあるこれらの品々を届けてもらった。私の呼びかけに応じて、柏市社協(社会福祉協議会)の若者たち3人がトラック2台でかけつけ運んでくれた。

 被災者の皆さんは自分の名前が貼ってある家具を見つけて「これ、3階の○○号室にお願いします」と明るい声を上げた。

 JR南柏駅近くに立ち並ぶ東電の社宅。ここが原発震災で被災した方たちの疎開場所である。東電が自ら提供したのではない。地元の人たちが空き家のまま何年も放置したままの東電社宅に気づき、震災直後、柏市を通して東電申し入れた末に、やっと提供してもらった。

 被災者は凍てつく寒さの中で、暖房設備も何もない被災地の体育館で、教室でろうそくの明かりを頼りに耐え忍んでいた。当時、被災地は粉雪が舞っていた。

▼照明取り付け、拭き掃除
 空き家になったまま放置された東電の社宅周辺の人たちは寄付金を集め、各部屋に照明器具を取り付け、ボランティアが拭き掃除をして、受け入れ態勢を整えてくれた、と後で被災者から聞いた。

 エアコンは柏市が用意したそうだ。東電はあれだけの災害を起こしながら、この場所に空き家があることさえ被災者に教えなかった。

 被災者は大熊町、浪江町、広野町など原発周辺に住んでいたため、自宅に立ち寄ることも出来ず、文字通り着の身着のまま投げ出された。家族は分かれて生活。夫は福島県内で働き、妻が子供を連れて避難。中には家族を失い1人でやって来た高齢者もいる。

▼敗戦直後と二重写し
 当面の住まいは確保したが、衣類の収納などとても手が回らず、ポリ容器にしまっているという。食器は取り敢えず100円ショップで買いそろえたとのことだった。被災者の方々は一瞬にして、すべてをはぎ取られてしまった。

 三陸の町が消え、津波によって原野と化した映像を見て、敗戦直後の映像と二重写しになった。心が裂けた。目の前のテレビ画面は作り物の劇映画ではない。「現実」なのである。「3・11」は私の人生観を一変させた。

 「もし自分が被災していたら」と、常に立場を置き換えて考えた。何ができる?年金生活の身で金はないが、出来ることは何でも手伝おう。それがボランティア活動に足を突っ込むきっかけだった。

▼「遠野」がいい機会
 今回の津波では、多くの市町村立図書館が建物ごとさらわれた。岩手県庁に問い合わせて、将来の開館に備えて遠野文化研究センターで書籍の寄贈を募っていることを知った。後で読もうと買い揃えた書物はざっと2300冊。このうち半分以上は、まともに目を通していない。

 最近は落語関係の本を読むのに精一杯。この先も、おそらく読まないだろう。分厚い書籍を読破する根気がなくなった。「遠野」がいい機会だ。自分の齢と相談し、落語以外の本はすべて手放すことにした。

 「遠野」向きのものと、それ以外の書籍を仕訳し、非売品の政治関係書籍は資料として大学の図書館に寄付。読書好きの友人にも、段ボールに詰めて送った。残りは本棚募金に回した。

▼3人がかりの協力に感謝
 一番小さい本棚1つだけ手元に残して、空になった本箱2つ、本棚3つをタンスといっしょに社宅に届けた。以前、冷蔵庫を運んでくれた柏市社協のAさんにお願いしたところ、トラック2台で運搬してくれた。

 おばちゃんたちが「うちは2階のどこそこ」と言うと、2人係りで家具を抱え、狭い階段を上がってくれた。

 「玄関から入らないので扉を外しました」と課長。「ひと休みさせていただきます」と言ってペットボトルの冷たいお茶をゴクンと飲んだ。額には汗がにじんでいる。一方、Aさんは「(1階なので)ベランダから入れました」。

 3人がかりで来てくださったから、届けることが出来た。有難い。強力な助っ人のお3方に改めて感謝。
  
編注 遠野文化研究センターへの書籍寄贈は
 http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/35,18008,162,htmlまで

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント