訴えは人の心を動かし500万人の署名が集まった!

2016年01月30日のブログ「半歩前へ」。再録する。

▼モンテンルパ刑務所
 慰霊の旅を続けている天皇、皇后両陛下は26日から5日間、フィリピンを訪問した。かの地では日本人50万人、フィリピン人100万人が戦争で命を失った。

 昭和21年のフィリピン独立後も日本人戦犯者100人余りが、マニラ郊外のモンテンルパ刑務所に収容されていた。その刑務所に、私を含めほとんどの日本人が知らない秘話があった。戦争の悲惨さが胸に突き刺さる。

 昭和27年12月24日、モンテンルパ刑務所。クリスマスイブとはいえ気温40度を超す刑務所で歌手、渡辺はま子は歌った。歌は収容されている死刑囚が祖国をしのび作った「ああ モンテンルパの夜は更けて」、である。

 メモ帳やノートなどない。代田銀太郎は便所紙にヨードチンキで詩を書いた。伊藤正康が刑務所の教会でオルガンを弾いて曲を作った。

 日本から来た僧で教戒師の加賀尾秀忍は、囚人たちと寝起きを共にして、彼らが日本に帰る日を願って祈った。加賀尾は、渡辺に曲を送った。やがてレコード化され、たちまち20万枚を超える大ヒットとなった。そして半年後、渡辺はま子はモンテンルパを訪れる。

 フィリピンは常夏の国だが故郷を偲ぶ兵士に渡辺は、ずっと振袖姿で歌い続けた。歌が流れると兵たちの中からすすり泣きが聞こえた。祖国の母やわが子を思い出し、感に堪えて泣き崩れる者もいた。

 最後は全員が泣きながら唱和した。つられてフィリピン人看守もいっしょに歌った。渡辺はま子は「この兵隊さんたちを日本へ帰したい」と思った。

 帰国後、彼女は毎日必死でラジオで呼びかけた。「この歌は今もフィリピンで囚人生活を送っている死刑囚が作った歌です。帰国できるように署名をお願い致します」―。

 今と異なりテレビや携帯電話、スマホなどない時代だ。ひたすらラジオで呼びかけた。訴えは聞く人の心を動かし、500万人の署名が集まった。

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http://26663082.at.webry.info/201601/article_149.html

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